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害虫交信かく乱剤とは
エコファーマーとは

「害虫交信かく乱剤」って農薬?

エコファーマーって何?

八千代の梨づくりはいつ頃から始まったの?

植物を育てるうえで、害虫はつきもの。従来は何度も殺虫剤の散布が必要でしたが、減農薬栽培技術の発展・普及によって、従来の半分以下の使用まで抑えることが可能になり
ました。そのひとつがフェロモン剤の利用技術です。八千代市の梨園では、主に「害虫交信かく乱剤」が使われる場合が多いよう。これは、夜行性である害虫が匂いでお互いを認識
しているという特徴を利用し、人工のフェロモンで混乱させることによって交尾・繁殖を阻害するという仕組み。殺虫剤のような薬品ではなく、匂いを利用した環境にやさしい手法のうえ、
その効果は抜群!
下写真のようなコンフューザーという製品を約200本ほどぶら下げます。効果は4か月ほどだそうで、毎年付け替える必要があるとのことです。
エコファーマーとは、人と環境にやさしい農業に取り組む農業者のことです。近年、多量の化学肥料や農薬を使用することによって、環境汚染や農地の生産力低下が懸念されて
きました。そうした背景を踏まえ、平成11年7月に「持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律(持続農業法)」が制定され、これに基づき@化学肥料に頼らずたい肥
など有機質により土をつくり、A土壌や水質を汚染する可能性のある化学肥料を極力減らし、B人体や生態系に悪影響を及ぼす化学農薬の使用を減らす、という実践計画を県に
提出し、取り組んでいらっしゃる農業者をエコファーマーとして認定するようになったそうです。
安全・安心・おいしい梨の生産のために、八千代市梨業組合は2008年までに全ての組合員が認証取得できるよう推進しています。


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八千代の梨の歴史
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“阿蘇ナシ”の名で全国各地に出荷されている八千代の梨ですが、はじまりは大正初め頃に今の村上の地へ梨の苗を植えたことから始まります。
八千代の梨が特産物として成長を遂げたのも、その礎として梨の育成を行った宮崎B(きよし)さんと宮崎規矩治(きくじ)さんの並々ならぬ努力のお陰だそう。その功績を讃え、七百餘所神社(しちひゃくよしょじんじゃ)の県道を挟んだ向かい側に、「頌徳之碑(しょうとくのひ)」と呼ばれる石碑が昭和39年12月に建立されました。
丁度その隣に、現在は村上梨集出荷場が建てられています。この周辺は直売所も密集している地域、梨をお買い求めの際にはぜひ一度足をとめてみては?









【石碑の内容】 『氏は共に阿蘇梨先植の大先覚者であり、その歴史は遠く、東京オリンピックの年をもって、五十年に正当する。両氏は大正初期旧制中学校を卒業、当時農家は米麦養蚕一辺倒の旧態依然たるものであったがつとにこれが体質改善を唱え、清新な感覚と情熱を捧げて総ゆる困難辛苦にも堪え、両友相携えて地味に適した果樹梨苗を、安行・佐倉両地より初めて移植することに成功。以来研究に研究を重ねた結果、終に今日の東京市場を独占するがごとき名産“阿蘇梨”の礎石を築いたのである。この間氏等は梨の育成を生涯の友と為し、品質の改善と後進の指導に全力を傾注。一切の名誉職にも就かず地区住民果樹栽培のためには、慈愛と謙虚さをもって、知れる限りの秘宝を傅援するに惜しみなく、創園当初僅か二戸の栽植戸数より栽培面積七十八ヘクタールの今日に至るまで、よく愛情一路に生き抜き地区梨業者発展に寄与した功績まことに偉大である。ここに梨齢五十年を迎えるに当り梨業組合百二十戸の名の下に、両翁の高徳を讃え頌徳碑を建立、もって鴻思の万分の一にも報いんとするものである。』


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