“阿蘇ナシ”の名で全国各地に出荷されている八千代の梨ですが、はじまりは大正初め頃に今の村上の地へ梨の苗を植えたことから始まります。
八千代の梨が特産物として成長を遂げたのも、その礎として梨の育成を行った宮崎B(きよし)さんと宮崎規矩治(きくじ)さんの並々ならぬ努力のお陰だそう。その功績を讃え、七百餘所神社(しちひゃくよしょじんじゃ)の県道を挟んだ向かい側に、「頌徳之碑(しょうとくのひ)」と呼ばれる石碑が昭和39年12月に建立されました。
丁度その隣に、現在は村上梨集出荷場が建てられています。この周辺は直売所も密集している地域、梨をお買い求めの際にはぜひ一度足をとめてみては?
【石碑の内容】 『氏は共に阿蘇梨先植の大先覚者であり、その歴史は遠く、東京オリンピックの年をもって、五十年に正当する。両氏は大正初期旧制中学校を卒業、当時農家は米麦養蚕一辺倒の旧態依然たるものであったがつとにこれが体質改善を唱え、清新な感覚と情熱を捧げて総ゆる困難辛苦にも堪え、両友相携えて地味に適した果樹梨苗を、安行・佐倉両地より初めて移植することに成功。以来研究に研究を重ねた結果、終に今日の東京市場を独占するがごとき名産“阿蘇梨”の礎石を築いたのである。この間氏等は梨の育成を生涯の友と為し、品質の改善と後進の指導に全力を傾注。一切の名誉職にも就かず地区住民果樹栽培のためには、慈愛と謙虚さをもって、知れる限りの秘宝を傅援するに惜しみなく、創園当初僅か二戸の栽植戸数より栽培面積七十八ヘクタールの今日に至るまで、よく愛情一路に生き抜き地区梨業者発展に寄与した功績まことに偉大である。ここに梨齢五十年を迎えるに当り梨業組合百二十戸の名の下に、両翁の高徳を讃え頌徳碑を建立、もって鴻思の万分の一にも報いんとするものである。』 |